忌わしき現実から、楽市が勇ましく逃避する日々を、綴る。
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 小説や映画の制作について興味を抱いてしまうと、それらをただ純には楽しめなくなるし、純に楽しむことすら間違いになる。
 制作者側の視点でそれらを鑑賞するということが、重要になるからだ。自分ならこのような素敵な展開を発想することが出来ただろうか、自分ならこのシーンをこのカットで撮影するという発想が出来ただろうか、自分ならここをどう描写するだろうか、自分ならこのシーンをどうカットするだろうか。そういった思考を常に持って、物語に接するのが無意識の作業になるし、大切にもなる。曲がりなりにも生産者を夢みるのなら、純な消費者としてそれらを馬鹿正直に楽しんでも建設的ではないし、意味がない。それでは永久に消費者のままである。ゲームをするのが好きだからゲームを作るのが好き、という発想は安易だし愚かだし理由になっていない。
 物語が生む感情には必ず理由がある。読後や鑑賞後に伴う好感や嫌悪感や幸福感には、発生理由が必ずある。理由があるのならそれらを理論的に文章に起こすのは可能であるし、文章に起こす必要はなくとも、どういった理論の上で成り立っているのかを理解する必要がある。理論を理解することは生産者の武器になるからだ。極稀に、自然に思うがままに制作して、多くの感動を得る作品を生むことの出来る時や人が在るが、それらは時の運や一部の天才の持つ希少な事象に過ぎない。仮に自らにその才があると自負する者がいようと、生産者を目指すのなら物語を構成する理屈を理解するに越したことはない。理論的に解釈しながら物語に親しむことが、物語を楽しむことに繋がらないというわけではないので、なにかを犠牲にしているわけでもないし。
 〝面白い〟と万人に判断される物語を生むことは、生産者にとっても幸福だと思うし、その幸福に繋がる作業を生産者志望が苦に思うわけもない。少なくとも、僕のような若輩な現段階で。
 だから僕は生産者側と消費者側の視点を出来る限り両立して、物語に親しむように心がけている。心がけているようより、無意識の作業になっている。しかし、勿論これはなにも珍しい行為ではない。特に現在の日本の若者の結構の数が、そういった考えで物語りに親しんでいるはずである。この世界は近年あまりに競争率が激しい。

 あ、ちなみに自分はそういった類の生業で飯を食おうなんて甘いことは思っていないし、そこまでの気力も初めからないです。クリエイティブな副業、が最も理想的っすよね。もっと理想をいうなら、働いたら負けだと思っている、と胸を張って言える立場になりたい。
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ήб
2008/03/22(土) 16:29:43 | ??
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