忌わしき現実から、楽市が勇ましく逃避する日々を、綴る。
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 とある創作サイトのチャットでのお遊び企画。「歯ブラシ」「黒帯」「メガネ」をお題にした三語小説。時間制限の上、執筆時間が深夜でした。
 僕としては三語は物語に対して自然に尚且つ重要な位置に加わらなければいけないと思っている。ゆえに難しい。今回も結局は恋人同士の日常を三語というオプションを利用して展開していっただけ。ボーイミーツガールの日常を描く形にもマンネリがみえてきているよね。
 そろそろ、僕も冒険しようと思う。
 目を覚ますと、隣で寝息をたてていた彼女の姿は消えていて、その代わり、洗面所から聞こえる音の外れた鼻歌が、彼女の所在を知らせてくれていた。当たり前のように僕のブラシで歯を磨いている彼女の後ろに立つと、僕は溜息を吐いた。洗面台の鏡に映る彼女は、そこに立つ僕の姿に気づくと、にこりと微笑んだ。眠気眼をこすりながら、僕もとりあえず笑った。
「勝手に使うなといつも言っているだろ、いい加減に自分のを買え」と歯ブラシについて指摘してやりたいと思ったが、勿論、僕はなにも言わない。幼少から柔道を嗜むという彼女は、未だ幼さの残るその風貌からでは想像できないほど、恐ろしく強く、そしてそれが無自覚故に恐ろしい。自覚がないから冗談の拍子などに容易に僕に技を仕掛けてくるし、受身の心得なんて勿論ない僕なので、いつかのように背負い投げでもされて骨折でもしたら、会社に遅刻では済まされない。ということで、僕はもう一度溜息を吐いた。
「僕の歯ブラシは?」洗面所に立つ彼女に、僕は出来る限り嫌味っぽく尋ねてみる。
「ひょひょ」少しの泡を唇から零して、彼女は言った。「おふぁひょう」
 一言目は「ここ」と自らの口内にある歯ブラシを指し、二言目は「おはよう」という挨拶を発したらしい。仕草は可愛らしいのだが、なんだろう、この倦怠感は。
「おはよう」僕は、もう一つ溜息を吐いた。
 その体型や顔立ちのせいで、中学生にも間違われることの多い彼女の外見はつまり、子供っぽい。僕のYシャツ一枚に、華奢な身体をすっぽり潜らせたそのいたいけな格好は、あまりに危うかった。大胆にもその白い太股を露出している彼女の姿は、僕が無垢な少女に淫行を強いる犯罪者のような気分にさせてくれる。彼女を泊めた翌朝には毎回覚えることになる感情ではあるのだが、もう暫く慣れそうになかった。
「磨いたばかりだから、汚くないよ?」
 口をゆすぎ終えると、彼女は無垢に笑んで、歯ブラシを僕に差し出した。洗顔をし終えたあとなのか、肩まで伸びた黒髪の先に、微かな雫が光っていた。
「分かってるよ」と僕は応えた。
 磨いたのは君の歯であってブラシではないだろう、という極めて常識的な指摘を、僕は決して口にしない。歯もブラシも共に掃除したから大丈夫なの、そういうの屁理屈っていうんだぜ、なにさ君は私の歯が汚いっていうの、いやそういう訳じゃなくて……、なら構わないでしょ、でも君の衛生にも良くないから次から買、いいじゃないそんなの、いや歯ブラシくらい安いもんだし、なにさ酷いよ私たち恋人でしょ仲良く二人で使おうよ、いや僕はただ別に、なにさ昨夜は汚くなんかないよって言って私のあんなとこ、ああああああ言ってない言ってない!、君はケダモノだったんだ、いやなにをちょ泣かないでよっ、酷いようふぇふえぇええ!
 前回は、その間抜けな問答の末、彼女の手によって唐突に虚空に切った僕の背中は、あえなく骨折したのであった。安アパートの狭い洗面所で、ああも豪快に投げられると、素人の僕には受身もへったくれもあったものではない。おかげで、痛みのあまり床に伏せる僕に彼女は泣き出してしまうし、その泣き声を聞いた近隣住民が警察を呼ぶし、就職して一年足らずの会社に、有給休暇を使わざるえない羽目になったのだった。
 嗚呼、あのときは本当に散々だった。折れた骨は身体にとってそう重要な部分ではなかったらしく大事にはならなかったが、数日は痛みでろくに動けなかった。その上、入院まで強制されたのだった。入院している間、僕の病室には、毎日彼女が見舞いに訪れた。加害者で恋人なのだから当然のような話だけど、今にも泣きそうな忍びない顔をして毎日見舞いにきてくれるものだから、その度に僕まで申し訳なく思ってしまうのだった。情けなくも彼女に怪我をさせられ、彼女を弱らせた自分が色々と恥かしかった。
「ありがとう」
 人並みの学習能力はある僕は、よって素直に彼女のブラシを受け取った。さすがにその一件で彼女も懲りただろうが、彼女は脊髄反射で技をしかける癖があるので、そう安心はできない。現に先週、彼女が買っておいたプリンを食べてしまったことを理由に、僕は大外刈りの犠牲になっているのだ。テーブルの角に叩きつけられ打撲した足首は、未だに痛む。
「今日、帰りに買っておくよ。君の歯ブラシも」
「大丈夫だよ」
 形の良い唇を大きく開けて欠伸をすると、彼女は涙を浮かべて悪戯に微笑み、僕の背中に抱きついた。凹凸の少ない身体は、ただ柔らかく暖かくて、歯を磨く邪魔にはなりえないので、僕は黙ってその感触の幸福に浸った。彼女によって先月まで不幸の中にあった僕の背中は、彼女によって今幸福にある。腰に両手を回した状態から入る技は柔道にないはずなので、今の僕に恐れるものはない。
「サークルの飲み会で遅くなったときくらいにしか、泊まらないでしょ。私」もごもごと背中の膨らみが動いた。布越しに彼女を頬を感じた。「それ以外に君、誘ってくれないしさ」
 大学の柔道サークルの飲み会は、大体週一の間隔で実施されているようだ。
 つまり、今の関係に至ってから、彼女は最低週一回の間隔でうちへ泊まりにきていることになる。といっても僕と彼女が付き合い始めたのは、先月からのことだけれど。
「月に四日はくるだろ? 買っとくよ」僕は口をゆすぐと言った。
「だめ。無駄遣い」また背中越しに彼女の頬が動いて、僕をくすぶった。彼女は僕との唾液を交換を強く望んでいるのだろうと本気で悩んでしまう。
 前回の激痛の記憶は未だ根強くその背に残っていて、凍てつくなにかを背筋に感じた僕は「はい」と応えることを余儀なくされるのだった。大学時代から、その小さな身体に男一人を投げる力がどこに隠れているのか疑問だった。
「今、ごはん作るからね」
 猿の親子のように、ぴったりと彼女を背につけた状態でリビングに戻ると、彼女はそう言った。キッチンに立って、徐にまな板を取り出す彼女に、僕は慌てた。
「眼鏡は?」
「いいよ、手元くらいみえるもの」彼女は笑って、続いて包丁を手に取った。
 なにを馬鹿な、と僕は思った。
 彼女は、僕たちのなり初めがどういった形のものだったのか、忘れてしまったのだろうか。先日は黒帯と間違って、僕のベルトを柔道着に着用していたではないか。
「ナスと苺のサラダって、意外に合うんだよ。前菜前菜~ぜんぜんさぁい~」
 訳の分からない歌を口ずさんで、彼女はようかんとトマトを輪切りにしだした。冗談のように思えるのだが、彼女の目には今、紛れもないナスと苺が映っているようだ。僕は彼女の細く白い指を前菜にされても食べる自信がないので、後ろから眼鏡を彼女にかけてやった。眼鏡を通して手元を視認した彼女は、きょとんと目を丸くして沈黙した。
「ようかんとトマトと、ナスと苺のぜんぜんさぁい~」
 少しして彼女の歌いだしたそれは、色々と滅茶苦茶なものだった。当初から、その四品でサラダを作る予定でいたことを強調しているようだ。
 彼女は見かけによらず意固地で強がりである。恐らく十数分後には、ようかんとトマトとナスと苺の前菜を、肩を並べて食べることになるのだろう。そのとき、「おいしい」と主張することは、互いの暗黙の了解である。
 僕は眼鏡をかけた彼女の横顔を覗きみた。
 眼鏡越しにみえる無垢な瞳は大きくて、より幼くみえた。とてもではないが、大学生にはみえない。彼女が眼鏡を好まない理由が、分かった気がした。
 僕は思わず笑っていた。彼女は真っ赤になって頬を膨らます。
「初めから、この四品で作る予定だったもん!」何も言っていないのに、丁寧に言い訳をしてくれた。
「分かってるよ」と僕は必死に笑いを殺した。「思い出しただけだよ」
「なにをさ」と彼女は不満げに包丁を置いた。
「キャンパスで初めて君と会ったとき、君は尻餅をついていた」
 サークル仲間のものだろう幾つもの柔道着と、眼鏡が一つだけ辺りに錯乱したその光景は、彼女が転んだことを伝えてくれていた。小石の多い庭だったので、きっとそれにつまずいたのだろう。えらく可愛らしい子がいるなと思っただけで、そのときの僕は講義に急いでいたので、声をかけるつもりすらなかった。しかし、次の瞬間、僕の目に飛び込んできた光景によって、僕は彼女に声をかけ、介抱まですることになる。
 彼女は恥かしそうに頬を染めながら、慌てて付近にあった小石を手にしたのだ。そして、それを思い切り自らの眼球に――
「新手の自殺かと思ったよ」と僕は笑った。「怪我がなくて良かった」
「お昼のキャンパスで、小石につまずいて転んだんだよ!」いつかのように頬を赤くして、彼女は言った。「慌てて当然でしょ!」
「いくら慌てていても、眼鏡と小石は間違わない」と僕は調子に乗って、彼女の頭を撫でてみる。「シュールな光景だったよ。柔道着の散らばった大学のキャンパスに、女子中学生が尻餅ついて、小石を目に突っ込んでいる瞬間なんて、そうはみられない」
 気づくと僕は、彼女の手によって浮いていた。身体で風を切り、反転しようとしていた。
 一体どこで扱いを間違ったのだろうかと悩んだ。小石について笑ったところか、女子中学生呼ばわりしたところか、頭を撫でたところか、或いは、当時の僕が目を傷めて泣き出した彼女に「お嬢ちゃん、大丈夫?」と尋ねたことを、彼女が思い出したせいかも知れない。
 しかし、僕は実のところ、少々余裕でいた。
 例え床がコンクリでも、黒帯の実力をもつ人間の技を受けて怪我をすること なんて、滅多にないという。実力者の技は痛くあっても、安全なのだ。つまり前回は、彼女が眼鏡をかけていなかった点に要因があったのだ。そう、眼鏡をしている今の彼女の背負い投げなんて、背中を骨折された過去を持つ俺にとって屁でもないというわ――
 ――――思ったより痛くて、僕はとりあえず、今日は会社を休もうと思った。
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